●四壇原(よつだんばら)という地名の由来(大内様のメールより転載)
   不思議な「小丘」、地図で「船橋」の交差点の直ぐ北北東側にある四つの小山「壇」からつけられた地名です。この一列に並んだ四つの「壇」は、今から約950年前に、源義家が当時の奥州の最強の豪族であった「安倍貞任(アベノ・サダトウ)」攻略のためにこの地に出陣してきたときに、戦地に祭壇を築き(夫々の壇には諏訪、八幡、等の神社を祭った)、必勝を祈願した遺跡です。図らずもこの地一体は両軍の激戦地になってしまったわけですが(前九年の役=日本史で学ぶはずですが)、この戦いを第一回として、数回の戦の後義家が戦勝、奥州の鎮圧が成ったわけです。従ってこの四つの「壇」はあまり省みられていませんが、歴史的に価値のある遺跡なのです。
 ちなみに、瀬峰町の郷土史研究家の話しによると、この付近一帯の土地からはからは今でも多数の鉄の「矢じり」が見つかるそうで、当時の両軍の戦いが如何に激しかったかを示しているそうです。