読売飛行場跡東京都世田谷区、東急線二子玉川駅近くの多摩川河川敷 |
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![]() 読売飛行場は、戦前に当時の航空ブームにより読売新聞社によって設置された飛行場である。戦時中は旧陸軍の訓練用飛行場として使われた。昭和17年頃の空撮写真には、滑走路に「ヨミウリ」とカタカナでペイントされていたようである。 現在は、格納庫があった部分は専門学校。滑走路部分は河川敷の運動場になっています。 |
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掲示板より
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大内様からのメールより(転載)見取り図は大内様作成 |
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少年時代(昭和27年:中学2年生〜昭和30年:高校2年生)によく読売飛行場に飛行機を見に行っていた者です(現在63歳)。読売飛行場について書かれていましたので、当時の様子を記します。 場所は二子玉川の兵庫島(かつてはボート遊びや川遊びの中心地)の北西200メートル付近の多摩川左岸河川敷から、幅30メートル、長さ450メートルほどのアスファルト転圧の滑走路が延びていました。 滑走路の北西端付近から低い丘が広がり、滑走路はそれ以上伸ばせない地形になっていました(従って紹介記事にある長さ700メートル、幅70メートルは明らかに間違いです。1万分の1のこの付近の地図を参照いただくと判明します)。 |
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講和条約が締結された翌年の昭和27年から、日本の民間航空は条件付ながら解禁され、新聞各社がこぞって小型飛行機を購入。又飛行機クラブが創設されて行きました。玉川飛行場はもともと読売新聞社(二子玉川周辺は広い範囲で読売新聞社の土地になっており、現在の二子玉川駅の東側には戦前から広大な「読売遊園地」と言う今で言うレジャーランドが存在しました)の所有で、戦時中は一時陸軍が使用していましたが、戦後は元の持ち主の手に戻っていました。 読売新聞社は昭和27年に社有機第1号のセスナ190と言う、肩翼で単発の軽飛行機を購入、この飛行場の戦前からある格納庫に常駐させました。 |
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| 読売飛行場格納庫前での写真。駐車中の車は、フォードパッカード (大内様撮影、二次使用・転載はご遠慮下さい) |
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| 以後パイパー・ぺーサーやトライペーサー、双発のビーチクラフト・ツインビーチ等を追加し常駐させました。 我々少年飛行機マニアは、学校が終るとよく片道1.2キロメートルの道をこの飛行場まで通い、飽かずこれらの飛行機を眺め、あるいは飛ぶ姿に魅せられておりました(私の家は東急大井町線の等々力駅の近く)。 時には珍しい機種も飛来していました。イギリスのオースター・エーグレット軽飛行機。現在神田の交通博物館の中央広場天井に吊るされている不思議な翼配置の軽飛行機(残念ながら名称が思い出せない)他多数。 私が小学校に入学したのは昭和20年ですが、この頃は記憶もかなり鮮明になって来ていますが、陸軍のカ号オートジャイロがここを基地に訓練飛行を行っており、我が家の上空300メートルほどのところをよく飛んでいたのを思い出します。 以上長くなりましたが記憶をたどりました。 詳しいこともある程度覚えておりますが、何か質問がありましたら問い合わせください。 以上お知らせまで。 |
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| 2003.8.1 Last up date [戻る] |
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